昭和の中後期生まれ森川雅子です
布団に入って天井からぶら下がる和室の照明の豆電気を見つめながら
死んだらどうなるのかを考えているうちに眠ってしまう、そんな幼少期でした
小・中学は周りと自分の感覚の違い、繰り返される小さないじめにうんざりして早くこんなところから抜け出したいと思っていました。
中学の卒業式がとても嬉しかったことを覚えています
同じ中学から進学する人がほとんどいない高校に入学し、やっと自分らしく過ごせたような気がします
特にやりたいこともなく、受験勉強をする覚悟もなかったのですが
父親に初任給に差が出るからせめて短大にはいくように言われて進学
実家から都会の短大に進学しました
突然一人ぽっちになったような感覚
知らない人ばかりは寂しいけれど楽な気持ちと
周りが青春を謳歌しているその輪に入れない孤独を感じていました
たまにその輪に入る機会があっても全くなじめず楽しいふりをする。
私はどうしてこうなんだろう。
どうして自分はみんなみたいに上手くやれないんだろう
そんな感じで就職活動にも現実味や真剣さも持てず就職浪人。
世間のレールから離脱してしまいました。
卒業後はアルバイトをして一年後になんとか入った会社は気分屋の女性が支配する職場でした
その後、何度か転職を繰り返し、最終的に割と大きな会社に入り、世間のレールから10年遅れで年下の同期たちと遅い青春体験をすることになります
30台になると両親に結婚を急かされ、お見合いをセッティングされ、自分が売れ残りの「モノ」なったような気持ちを味わい、両親にそんなことをさせてしまっている自分を責めました
昔から結婚に興味がなかったにもかかわらず、結婚しなくちゃという思いに囚われ30代で結婚するも40代で離婚
再び一人になって何とか再就職を果たすも将来の不安でおかしくなって50代で貯金をなくしどん底を経験することになりました
どうして自分はみんなみたいに上手くやれないんだろう
上手く生きられない自分を責めて胸が苦しくなって息が出来なくなりました
今思えば、私には自分がなかった
月日を重ねるとは逆に自分をどんどん失っていったのだとわかります
いつも「みんな」と比較して自分を責めるだけで自分と向き合うことを忘れていたのです
絶望の中から、このままじゃ嫌だ!
こんなのは私の人生じゃない!
藁をもすがる思いで夜空を仰ぎ、神様にお願いをしました
それからほどなくしてネットで松田悠玄さんを知りました
私は松田悠玄さんの「独りひっそりビジネス」でやり直そうと決めました
不思議と迷いはありませんでした
メンターの教えを知れば知るほど、この出会いに感謝しかありません
出会えた自分、失敗した自分さえ褒めることもできました
今は働きながら独りひっそりビジネスに取り組んでいます
まだまだやり直しの途中です
一生学んで自分の人生を好転させようと決めています
読んでいただき、ありがとうございます。